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【旭堂南陵さん逝去】
講談師、元参議院議員 旭堂南陵さん逝去 兵庫の岡崎ひろみ選挙や被災地メーデーの支援などに尽力

2020/08/12
旭堂南陵さん

 講談師(大阪講談協会会長)で元参議院議員の旭堂南陵さんが7月30日、膵臓がんのため亡くなられた。70歳。
 1989年、参議院選挙で兵庫選挙区に当時の社会党から立候補(当時は旭堂小南陵)、消費税導入反対の声を受けとめ、トップ当選した。
 政治家・南陵さんと新社会党のつながりは深い。南陵さんの当選の翌年に実施された総選挙で、兵庫1区は複数立候補という社会党本部の方針を受けて地域の党組織が公認申請した岡崎ひろみ(現新社会党中央執行委員長)を「連合結成に反対した」等を 理由に公認を拒否する混乱があったが、南陵さんは社会党の基本的な運動のスジを通している候補者を公認しないのはおかしいと、全面的な応援を展開。岡崎ひろみの初当選の原動力になった。
 以後、政治改革法案(小選挙区制導入を含む)に反対して社会党から離れ、護憲リベラル、新党平和・市民を結成し積極的に発言、活動をされた。新社会党の結成がもう半年早ければ南陵さんは新社会党公認第1号の参議院候補になっていたはずだった。
 1995年の阪神・淡路大震災後、まだ混乱が残る中で行われた参議院選挙で惜敗、政界から引退された。
 しかし同時期、阪神・淡路大震災で解雇された労働者や零細地場産業従事者などを励まし、組織しようと始まった「被災地メーデー」では、メーデーを盛り上げる舞台に若手の芸人も引き連れ毎年出演し、支え続けてくれた。
 南陵さんの活動域は広く、また勉強熱心。農学修士の基礎力は長良川河口堰反対運動に活かされ、話芸の歴史研究で博士号も持ち、講談では女性や外国人の弟子も多く育てられた。より深みのある芸に、活動にと充実期を迎えられたのにあまりに早いご逝去が残念でならない。(岡崎)