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私の主張(2025年5月21日号)
神戸空襲を記録する会
戦後80年の取り組み 次世代への継承めざす
2025/05/21
神戸空襲を記録する会は1971年、戦後25年が過ぎ、戦争体験の風化という危機感の中で、全国の空襲を記録する運動の広がりとともに結成された。ベトナム戦争があり、「戦争を知らない子どもたち」の歌が流行った時だった。
空襲体験を募集し、1972年から3月17日に神戸空襲犠牲者合同慰霊祭を始め、市民からの募金で慰霊碑を薬仙寺に造り(1975年)、「炎の形見」として空襲の遺品を集めてきた。1995年の大震災で中央図書館の戦災記念資料室が崩壊、2年後、兵庫図書館に神戸空襲戦災記念室が作られた。会は、神戸市のホームページの開設にも協力し、戦跡ウォークもスタートさせた(1999年)。
空襲犠牲者のお名前を集め記録していきたいという願いは、2011年にようやく神戸市の協力を得て、全国にも兵庫県内にも発信された。そして、2013年8月15日、大倉山公園に「神戸空襲を忘れない―いのちと平和の碑」を建て、その後は刻銘追加を2年ごとに行っている。最近は、ご家族が亡くなられ、戸籍謄本をとったところ、知らない名前があり「空襲により死亡」と書かれていたという問い合わせや届け出が増えている。犠牲者のお名前を集めることに希望が持てる。神戸市の協力を得てお名前を集めることは、全国的にも数少ない取り組みである。
在日朝鮮人、中国人、敵性外国人とされた人、連合国軍捕虜の人々も記録されている。アメリカ軍の無差別爆撃による空襲犠牲者は被害者だ。しかし、日本軍は日中戦争では上海、南京、武漢、何年にもわたる重慶爆撃と、侵略戦争で空爆を続け、多くの犠牲者を出した加害の国でもある。また、神戸は台湾の植民地化により鈴木商店の繁栄などから発展し、伊藤博文と大倉財閥による朝鮮の植民地化の中でも発展し、日本で1、2を争う貿易港になり、空爆の重要目標になった。
今年、戦後80年を迎えた。折からのロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ、パレスチナの侵略・ジェノサイドもあり、大戦後の国際法秩序も壊されているような危機感を覚える。しかし、無力感だけでなく、戦争はよそごとではない、自分も何かできないか、と考える人も生まれている。
神戸空襲を記録する会では、『神戸大空襲―戦後60年から明日へ―』という本に続き、今年は『戦後80年から明日へ』(仮題)の本を7月に出版する。この20年間に体験を話し始めた体験者のお話を残したい。体験者の中には、自分だけ助かった、仲間を守れなかったということがトラウマになった方もおられる。「60年経ちようやく体験を話し始めたが、その夜は友達の顔が浮かんで眠れないからもう話したくない」という方や、「自分たち家族は何とか生き永らえたので、亡くなった方のことを思うと話せなかった」という方もある。目の前で母や兄弟を亡くされた方は、家族にもその体験を話さなかった。
また、戦争孤児となった人たちも、その体験の重さから長く口を閉ざしてきた。白井勝彦さんの戦争犠牲者としての共感と思いから口を開いてくださった方も多い。神戸の戦争孤児の歴史と体験も紹介したい。また、アメリカ軍による戦後すぐの映像から見る神戸空襲の実相や、戦前の神戸の何が破壊されたのかも記録に残したい。今ようやく明らかになってきた原爆模擬爆弾の投下についても記録しておきたい。
6月1日の戦跡ウォークでは、3年前からのボランティアガイド養成講座の皆さんの協力を得て、少人数グループでのウォーキングも計画している。一方通行になりがちな案内を少人数で質問や対話ができるものにしたい。
8月10日には、米軍資料から米軍の戦略爆撃を研究する工藤洋三さん(空襲戦災を記録する全国連絡会事務局長)の米軍資料からみる神戸空襲のお話、USSBUの映像、写真から見る過去・空襲・現在等を比較する取り組みの報告などを内容とするシンポジウムも計画している。
11月9日には、500人もの犠牲者を出した兵庫区大輪田橋と兵庫運河のクルーズと、田辺眞人さんのお話、「兵庫運河の再生と未来へ」という兵庫漁協のお話を予定している。
12月14日には、大倉山公園の「いのちと平和の碑」の建立で大きな力をいただいた宮沢之祐さんの講演、神戸大学の長志珠絵さん、佐々木和子さんの対談なども計画している。
若い世代への継承が不可欠だ。様々な取り組みを通じて次世代に継承していきたい。
小城智子(神戸空襲を記録する会事務局長)
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空襲体験を募集し、1972年から3月17日に神戸空襲犠牲者合同慰霊祭を始め、市民からの募金で慰霊碑を薬仙寺に造り(1975年)、「炎の形見」として空襲の遺品を集めてきた。1995年の大震災で中央図書館の戦災記念資料室が崩壊、2年後、兵庫図書館に神戸空襲戦災記念室が作られた。会は、神戸市のホームページの開設にも協力し、戦跡ウォークもスタートさせた(1999年)。
空襲犠牲者のお名前を集め記録していきたいという願いは、2011年にようやく神戸市の協力を得て、全国にも兵庫県内にも発信された。そして、2013年8月15日、大倉山公園に「神戸空襲を忘れない―いのちと平和の碑」を建て、その後は刻銘追加を2年ごとに行っている。最近は、ご家族が亡くなられ、戸籍謄本をとったところ、知らない名前があり「空襲により死亡」と書かれていたという問い合わせや届け出が増えている。犠牲者のお名前を集めることに希望が持てる。神戸市の協力を得てお名前を集めることは、全国的にも数少ない取り組みである。
在日朝鮮人、中国人、敵性外国人とされた人、連合国軍捕虜の人々も記録されている。アメリカ軍の無差別爆撃による空襲犠牲者は被害者だ。しかし、日本軍は日中戦争では上海、南京、武漢、何年にもわたる重慶爆撃と、侵略戦争で空爆を続け、多くの犠牲者を出した加害の国でもある。また、神戸は台湾の植民地化により鈴木商店の繁栄などから発展し、伊藤博文と大倉財閥による朝鮮の植民地化の中でも発展し、日本で1、2を争う貿易港になり、空爆の重要目標になった。
今年、戦後80年を迎えた。折からのロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ、パレスチナの侵略・ジェノサイドもあり、大戦後の国際法秩序も壊されているような危機感を覚える。しかし、無力感だけでなく、戦争はよそごとではない、自分も何かできないか、と考える人も生まれている。
神戸空襲を記録する会では、『神戸大空襲―戦後60年から明日へ―』という本に続き、今年は『戦後80年から明日へ』(仮題)の本を7月に出版する。この20年間に体験を話し始めた体験者のお話を残したい。体験者の中には、自分だけ助かった、仲間を守れなかったということがトラウマになった方もおられる。「60年経ちようやく体験を話し始めたが、その夜は友達の顔が浮かんで眠れないからもう話したくない」という方や、「自分たち家族は何とか生き永らえたので、亡くなった方のことを思うと話せなかった」という方もある。目の前で母や兄弟を亡くされた方は、家族にもその体験を話さなかった。
また、戦争孤児となった人たちも、その体験の重さから長く口を閉ざしてきた。白井勝彦さんの戦争犠牲者としての共感と思いから口を開いてくださった方も多い。神戸の戦争孤児の歴史と体験も紹介したい。また、アメリカ軍による戦後すぐの映像から見る神戸空襲の実相や、戦前の神戸の何が破壊されたのかも記録に残したい。今ようやく明らかになってきた原爆模擬爆弾の投下についても記録しておきたい。
6月1日の戦跡ウォークでは、3年前からのボランティアガイド養成講座の皆さんの協力を得て、少人数グループでのウォーキングも計画している。一方通行になりがちな案内を少人数で質問や対話ができるものにしたい。
8月10日には、米軍資料から米軍の戦略爆撃を研究する工藤洋三さん(空襲戦災を記録する全国連絡会事務局長)の米軍資料からみる神戸空襲のお話、USSBUの映像、写真から見る過去・空襲・現在等を比較する取り組みの報告などを内容とするシンポジウムも計画している。
11月9日には、500人もの犠牲者を出した兵庫区大輪田橋と兵庫運河のクルーズと、田辺眞人さんのお話、「兵庫運河の再生と未来へ」という兵庫漁協のお話を予定している。
12月14日には、大倉山公園の「いのちと平和の碑」の建立で大きな力をいただいた宮沢之祐さんの講演、神戸大学の長志珠絵さん、佐々木和子さんの対談なども計画している。
若い世代への継承が不可欠だ。様々な取り組みを通じて次世代に継承していきたい。