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東灘区で戦跡ウォーク
神戸空襲を記録する会  6.4

2023/06/04
【写真説明】田辺眞人・兵庫津ミュージアム名誉館長の解説を聞くウォーク参加者=6月4日、神戸市東灘区

 神戸空襲を記録する会は6月4日、第20回戦跡ウォークを東灘区で行った。約50人が参加し、久しぶりに兵庫津ミュージアム名誉館長の田辺眞人さんの神戸空襲や東灘区の歴史のお話を聞いた。
戦争当時、神戸の町は軍需工場も多く、港に食料や原料が集中し、活気のある街だったが、学童疎開が始まった1944年あたりから大変になったとのこと。1945年3月17日、6月5日の大空襲で焼け野が原になった神戸でも、お金があれば東灘区や垂水区で地方に疎開していった人の空き家を借りることができたという。体験者のお話でも、本当のひもじさを味わったのは戦後の混乱の時期だという。
森の稲荷神社の朱鳥居を訪ねた。5月11日の川西航空機甲南製作所攻撃の目印になったものだ。5月5日に撃墜されたB29の飛行士の遺体が浜に漂着し、持っていた写真からそのことが分かった。川西航空機はジュラルミンなど飛行機の材料と製作中の飛行機を疎開させたが、この時に学徒動員者や徴用工の人々を休ませれば400人を超える犠牲者を出さずにすんだのだ。
深江生活文化資料館の戦災・戦争コーナーも見学。本庄墓地では空襲犠牲者慰霊碑、戦没者慰霊碑、忠魂碑(連合国軍がやってくると、軍国主義だと非難されるからと運動場に埋めたものが戦後、運動場の改修工事の際に掘り出され、墓地に引き取ってもらったもの)や角錐型の戦没者のお墓の話などをした。
本庄中学校で2人の体験者のお話を聞いた。そのお孫さんが「まとまって体験を聞いたのは初めてで、歴史にも興味がある」と語っていたが、受け継いで語り継いでいってほしいものだ。(小城)